こんな人たちがいたんだ。
京都大学原子炉実験所 異端の研究者たち 熊取六人衆
2008年10月深夜の毎日放送の番組「なぜ警告を続けるのか~京大原子炉実験所・”異端”の研究者たち~」ディレクター津村健夫、プロデューサー赤阪研二
この番組放映の直後、電力会社は毎日放送のすべての番組から一斉にスポンーサーを降りたそうです。広島放送でも「プルトニウム元年」という番組で、中部電力から、同様の恫喝がありました。
こうして、マスコミが原発や電力会社に批判的になれない仕組みが出来ていったんですね。
余命を掛けて東電・政府のウソと戦った ジャーナリスト 日隅一雄
TBS 報道の魂「バッヂとペンと~日隅一雄の闘い~」
東電の記者会見にいつも出席し、そのウソや責任を追及し続けたジャーナリスト出身の弁護士、日隅一雄氏の動画を、会のメンバーから教えて貰いました。
今回の福島原発事故を、東電原発事故と呼び、その責任を一貫して追及してきた日隅さん。
そのするどい追求の様子を、見たことがあります。ネットで日隅一雄の名前もよく見ました。しかし、その名前の読み方(ひずみ)も、ガンで余命が限られていたことも、そして昨年(2012/6/12)亡くなっていることも知りませんでした。
この動画を見て、
原発反対に命を掛ける人がいても、
原発推進に命を掛ける人はいない 、ことに気付いた。
日隅さん、ありがとうございました。ご冥福をお祈りします。
以下は「福島の人達の苦しみに比べれば、ガンの痛みなんて小さい」故・日隅一雄氏の悲壮な決意とは より転載
【日隅氏が編集長を務めていたインターネット新聞「NPJ」(News for the People in Japan)で活動を共にしていた、弁護士の梓澤和幸(あずさわ・かずゆき)氏の話。
「ガンのかなり重い宣告を受けて『あと何カ月(の命)』と(医者に)言われたときも、東京電力の記者会見に欠かさずに行ったんですね。
『何で、そんな病いを押していくのか?』と僕が聞いたら、彼は『私は本当に原発問題についての関心が弱かったために、福島第一原発の事故が起こり、10万人を超える人達が故郷を失った。福島の人達の苦しみに比べれば、自分のガンの痛みや病いの重みなんて小さいものだ』って言ったんですよ。
『だから、福島の人達のことを考えれば、東京電力の記者会見の中に自分が本当でないと思えることがあれば、どんどん突っ込んでいかないといけないんだ』とも、言ってました。
その言葉が今も忘れられないですね」 】転載おわり
反骨の写真家、福島菊次郎
東京新聞特別試写会での紹介サイトリンクします。
92歳の写真家、福島菊次郎という人を、知りました。(今年3月で93歳!!)
戦争中の体験(2等兵として、国のために死ぬのが当然だと思わされていた。原爆投下の6日前に広島から南九州に移動となり、被爆を免れ、米軍の本土上陸に備え、南九州の海岸に、穴を掘って爆雷を背負って隠れていたとき、敗戦を知る。)が原点。
ドキュメンタリー映画が昨年上映されたそうです。
見たかったです。(や)
抵抗の涯てに ~写真家・福島菊次郎の“遺言”~
これは、特に、原発や放射能とは関係ない動画ですが、福島菊次郎を知る動画です。